Sファイル2017試作「記多真玉の読み方と狩谷棭斎批判」

 

「記多真玉」の読みに挑んだ学者たち

ここに、現在まで(2017年07月)に分かっていることが、まとめてあります。

他にも出てくる可能性はありますが、最新、最終形態は、

6女性人名事典、7寺崎保広、補記の皇學館大學「續日本紀史料」、宮内庁となります。

現段階では、「記多真玉」に関しての学説は、大きく分けて二つになります。

狩谷棭斎を踏襲する学者と、読みには一切関与しない宮内庁と皇學館大學「續日本紀史料」、どちらにも属さない意味不明な寺崎保広となります。

私は、宮内庁と皇學館大學「續日本紀史料」を支持します。

 A、狩谷棭斎説(1、狩谷棭斎(かりやえきさい))を踏襲する学者、狩谷棭斎説の変形

  2、栗田寛(くりたひろし) 3、今泉忠義(いまいずみただよし) 4、宇治谷孟(うじたにつとむ) 5、佐伯有清(さえきありきよ) 6、女性人名事典

 B、読みには一切関与しないグループ

  皇學館大學「續日本紀史料」、旧宮内省・宮内庁・皇室

 C、ABどちらにも属さず

  7、寺崎保広(てらさきやすひろ)

このグループ分けに入ってないのは、「国史大系(黒板勝美)」です。これは、私、今年(2017年)までグループ分けを保留していました。

「国史大系」は大別「B、読みには一切関与しないグループ」ですが、漢字の置き換えの可能性を追究していました。

天平十七年「□□真玉(蓬左文庫筆跡)」、これを黒板勝美は「託陀真玉」という活字にしており、

今年(2017年)の夏に、「託」一字が解決しました。 →Sファイル平城京木簡の「託」

天平十七年「□□真玉(蓬左文庫筆跡)」を「『託』陀真玉」とした黒板勝美の手法は、推測にすぎませんが、

蓬左文庫続日本紀の「託」字筆跡を全て調べて、『託』と判定したもの思われます。これを私は調べていません。 (^_^;) ダルイので・・・

Sファイル蓬左文庫続日本紀

※ダルイ理由。それぐらい判るやろと思ったのですが、自分基準で考えていたので、判りにくい方もおられるかもしれませんので、書きます。

蓬左文庫続日本紀の「託」字筆跡を全て調べるということは、おそらく全ての「言偏(ごんべん)」漢字を精査する必要があります。

全ての「言偏(ごんべん)」漢字を精査して、次に、「託」字と確定できるものをセレクトして、さらに「、」付き「託」を探すことになります。

天平十七年「□□真玉(蓬左文庫筆跡)」の「、」付き「託」の使用例が、他にもあればいいのですが、皆無の可能性もあります。

皆無だった場合、六国史での使用例をあたる必要が生じるかもしれません。

と、こうなるわけです。

1日6時間ぶっ続けで、立命館図書館で、蓬左文庫続日本紀を一冊片付けるにしても、五回以上は必要となるでしょう。

現在の私が、立命図書館に行って調べ物ができるのは、週一回が限度です。 (^_^;) キングボンビー暇無しなんです・・・

最低でも5回以上立命館図書館に通うとなると、五週にも及びます。お金が掛かります・・・ (>_<)

よってに、ダルイとなるわけです。

まあ、でも、Sファイルの精度を上げるには、やらんよりやったほうがいいでしょうね。なので、金と暇ができたらやろうと思う課題です。

出来る人がいるなら、私の代わりにやって欲しいです。

2017/12/13、配達バイク運転して回ってきたら、おそらく、天平十七年「、」付き「託」は、この一例しかないのだろなと思いました。

私の学識勘というような大げさな物でもないのですが、

人の動きや物の流れを見た上での勘働きです。 (^_^;) ど底辺に生息してる特権みたいなもんや!

Sファイルを読んでくれている方が増えているので、私の勘働きは、それに支えられています。天平十七年「、」付き「託」はこの他に無し。

とんち小坊主一休さんクラスの屁理屈を言いますと、「、」付き「託」が天平十七年にしかないからこそ、

「、」に惑わされた狩谷棭斎は誤字と判断して「證」字への置き換えをしたと考えられます。 (^_^;) コナンくんのような名推理!

ほんとね、徳川家康の命で続日本紀を書写(Sファイル蓬左文庫続日本紀)した角倉素庵って凄い人ですよ、リアリズムに満ち満ちた偉人です。

角倉素庵が、狩谷棭斎のように「、」付き「託」を誤字と判断して、正確に書写しなかったら、

私たちは今、蓬左文庫続日本紀に「、」付き「託」を見れなかった可能性があります。偉人です、角倉素庵。 →wikipedia角倉素庵(すみのくらそあん)

 

残された問題は、第二文字「コザト偏+色(蓬左文庫筆跡)」が「陁」なのか「陀」なのかです。

これまた推測にすぎませんが、三つ全て「ダ」、同じ漢字だと思われます。

「コザト偏+色(蓬左文庫筆跡)」、こいつが漢和辞典に無いんですよねぇ・・・漢和辞典に無いからフォントも無い。

誰か、フォント作ってくれい! (^_^;) ダルイ・・・

Sファイル平城京木簡の「託」、これで判明したことは、黒板勝美がかなり精密に続日本紀を調べていたということと、

蓬左文庫筆跡が奈良時代の漢字の書き方を見事に踏襲(筆写)してるということです。

蓬左文庫続日本紀(金沢文庫系譜)は、少なくとも奈良時代の文字を完全に筆写してると言えそうです。 φ(^_^) 完コピすげー

 

狩谷棭斎が続日本紀について書いた書物が見つかりません。だいぶ調べたんですが、日本に現存してない可能性があります。

「国史大系続日本紀」(黒板勝美著)に、「狩谷棭斎校合本」(正確な書名を忘れました)とあるので、

黒板勝美が続日本紀を研究していた戦前には存在していたようです。終戦後の混乱で失われたのかもしれません。

失われた可能性のある、狩谷棭斎の続日本紀に関する書物について、

皇學館大學「續日本紀史料」を編纂されてる研究者の方々なら何か知っているかもしれません。

 

「記多真玉」の読みに挑んだ学者たちでは、「記多真玉」に読みを付した学者を年代順に並べてあります。

1から順に見ていくとわかりやすいと思います。

調べた私は、とにかく総当たり戦で、ばらばらに調べまくりました。

養老五年「記多真玉」と天平十七年「託□真玉」が、同一人物であるとした学者、女であるとした学者、

百済人であるとした学者、読み方は「トウダマタマ」とした学者・・・ (^_^;) めちゃくちゃやねん!どアホ学者!

総当たり戦で、大正から昭和にかけて出版された続日本紀を調べて行くと、佐伯有義を発見できました。

 

Sファイル佐伯有義(さえきありよし)

佐伯有義「六国史続日本紀」(朝日新聞社刊)の発見は、とても嬉しかったです。涙が出るほど嬉しかったです。 

この本は、立命館大学日本史文献資料室(日文献)にあります。日文献は修学館地下一階となります。

留年学部生の頃、院生の者(トウダとは読まない藤田)に頼んで、

ウィンストン・チャーチル「第二次世界大戦回顧録」(毎日新聞社版)を借り出してもらいました。全部読めなかったですが、いい本ですね。

 

佐伯有義「六国史続日本紀」(朝日新聞社刊)を発見したことにより、狩谷棭斎が混乱の原因だと判明しました。

狩谷棭斎の唱える「證陁真玉」説について解説している文章は、

現在(2018/01/16)のところ、佐伯有義「六国史続日本紀」(朝日新聞社刊)のみで、

狩谷棭斎が書いたと思われる「(続日本紀)狩谷棭斎校合本」が現存するのかどうかわかりません。

 

メモ) 矢場 →週刊現代「ヤバい」 →遠矢氏 →阿久根氏

メモ) →スピンオフ光陰矢の如し →スピンオフ莫禰氏支族遠矢氏

 

 

 

私の学生時代(1993年~)には、まだEUは誕生しておりませんでした。 →wikipedia欧州連合

厳密には、マーストリヒト条約によって、現在(2017年)のEUの形態になることが定められた時期となります。 →wikipediaマーストリヒト条約

2017年、私は、インターネットの発達により、統合の必要性はもうないのじゃないかと考えています。

 

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