狩谷棭斎(かりやえきさい)
天平十七年四月紀に證たるべきを託陁と作り、
又寶字五年三月紀荅他伊奈麻呂と有り、託陁は荅他で、蓋(けだし)、一音之轉
又、寶字五年三月に続日本紀は荅他伊奈麻呂と記しているから、託陁は荅他であり、これは、一音が転じた
無理やろ
狩谷棭斎への怒りはこれぐらいにして・・・
画像、三つの名前を見て何か気付きませんか?イメージ!イメージ!
応神天皇の名前ですね!「誉田別命(ほむたわけのみこと)」。→wikipedia応神天皇
応神天皇の名前表記、いっぱいあります。→めんどくさいから全部調べてませーん。すまんのお(^_^;)
wikipediaにある分だけでも記しておきます。注、読みはHP作成者の判断。
「誉田別尊(ほんだわけのみこと)」「誉田別命(ほんだわけのみこと)」「大鞆和気命(おおとものわけのみこと)」「誉田天皇(ほんだのてんのう)」
「胎中天皇(こぶくろのなかのてんのう※子宮の天皇、天皇の子の宮さま、つまり天皇の孫)」
『古事記』「品陀和氣命(ほんだわけのみこと)」、『播磨国風土記』「品太天皇(ほんだのてんのう)」『上宮記逸文』「凡牟都和希王(おむつわきのおう)」
無理を承知で記しますと、狩谷棭斎説に迷惑被っている私としては、「記多真玉」を「きたのまたま」と読む可能性がゼロであることを学者様に証明してもらいたいです。
不可能なら、宮内庁・皇室・皇學館の説に従い、読み不詳で放置しておいてもらいたいです。
次に狩谷棭斎の「證」は有り得ないことを示します。
左が「続日本紀養老五年記多真玉」の「記」、右が平城京木簡で日本古代木簡字典(にほんこだいもっかんじてん)より。
「記」は問題なさそうですね。
「続日本紀天平十七年□□真玉」の第一文字です。私は「託」ではなく、「言屯」ではないかと、長く思っていました。
「屯」平城京木簡、日本古代木簡字典(にほんこだいもっかんじてん)よりです。第一文字「□」は、私が考えていた「言屯」ではなさそうですね。
残念ながら、日本古代木簡字典に「託」字はありませんでした。発掘資料の整理が進めば「託」と確定できるかもしれません。近い将来に期待です。
「天平宝字五年荅他伊奈麻呂」の「荅」です。
平城京木簡の「登」です。赤囲みが「荅」に似てる感じですが、「登」ではないと言えそうです。
平安官人が、「登」に似せて、つまり間違いやすくなるように「荅」を筆記した可能性はあります。
第三文字「真」についてはこちら→記多真玉(続日本紀)
「続日本紀」、狩谷棭斎、それぞれに掛かっているフィルターを整理して示します。
「続日本紀」 「きたのま」という名前と意味を知っていた 正倉院宝物田上王記銘を知らなかった 串間子爵位穀玉璧を知っていた
狩谷棭斎 「きたのま」という名前も意味も知らない 正倉院宝物田上王記銘知っていた? 串間子爵位穀玉璧を知らなかった
狩谷棭斎の困難さはここにあります。「続日本紀」は知っていることを使って、正倉院宝物田上王記銘を探っているのです。
狩谷棭斎は正倉院宝物を調査しているので、「緑綾袍(みどりあやのほう)」は知っていた可能性はあります。
「緑綾袍」田上王記銘についてはどうでしょうか。知っていたのかも知れません。
で、皇統譜に田上王の名はないのに、「続日本紀」に頻繁(ひんぱん)に名があり、
また、「続日本後紀」「文徳天皇実録」「新撰姓氏録」には六世田上王の名があることを調べた可能性があります。
それで、「記多真玉」の「多」の上、「□□真玉」の「陁」の上、「荅他伊奈麻呂」の「他」の上にこだわり、
「続日本紀」が正倉院宝物田上王記銘を知らなかったことを看破して、「東大寺」のトウ音を持ってきて「證」を当てたと考えられます。
狩谷棭斎が田上王記銘を公表しなかった理由は、おそらく、皇統譜に記載がなかったからでしょう。
ここまで、狩谷棭斎が田上王記銘を知っていた場合の話です。
私は、これは「続日本紀」と同様、狩谷棭斎は田上王記銘を知らなかったんだろうと思います。
知っていたら、ここまで狂ったことをしなかっただろうと思えるのです。
で、なんか色々考えるに、「トウ」音は、「冬」なんじゃないでしょうか? 正倉院宝物田上王記銘緑綾袍、これは冬服なんじゃないかと私は思うんです。
あまりやりたくないのですが、狩谷棭斎が「證陁真玉」に至る思考を解説していきます。
※別解釈の可能性→Sファイル「天平十七年□□真玉」と「陥」
間違っているのがわかっていることを記述するのは非常に苦痛です。アホらしいです。(^_^;)
養老五年「記多真玉」についてはこちら→絁(あしぎぬ)
「九九のシロク24」で、養老五年の24年後にあたる天平十七年「□□真玉」があります。→私の独断解釈はこちら、Sファイル「記多真玉」二
※「會・カイ」字の解釈について、男爵位玉璧の話を展開させたいのですがSファイル資料が見つかりません。
男爵位玉璧の文様の意味を林巳奈夫が解説している内容です。出てきましたら書きます。
クリックで大きい画像
「□□真玉」の左となりの名前は「葛井連諸會」で「會」に謎の「|」です。漢字「會(会)」の成り立ちを見ると、「曾(甑・こしき)」に「フタ」です。
「曾(ソ・こしき)」が容器で、その上に「A」型の「フタ」らしいです。「フタ」、漢字で「蓋」、音は「ガイ」です。
よって、狩谷棭斎は「外従五位下」の「外」に注目します。
大きい画像で見て下さい。「外従五位下」の左に「下諸国去」、さらに左に「自天平十七年」とあります。
養老五年「記多真玉」と「外従五位下」から「五」、「自天平」から「天平宝字」、合わせて「天平宝字五年」でしょうか。
天平宝字五年を検索すると、この名があるわけですね。「荅他伊奈麻呂」。
「會」、「荅」、「答」・・・。「言」偏で「フタ」付きの文字「證」をあてたようです。
「カン・アイダ・間」は、年号で処理しています、狩谷棭斎。
養老五年「記多真玉」、天平十七年「□□真玉」、天平宝字五年「荅他伊奈麻呂」、
第二文字は、 「五年」と「五年」の間の天平十七年「□□真玉」が音の正しい名前として採用。
つまり、養老五年「多(タ)」・天平十七年「陁(ダ・タ)」・天平宝字五年「他(タ)」で、
真ん中、五年と五年の間の天平十七年の「陁(ダ)」を採用ということです。
で「真玉」ですから元号に注目です。養老から元号の順番は、
養老(ようろう)、神亀(しんぎ)、天平(てんぴょう)、天平感宝(かんぽう)、天平勝宝(しょうほう)、天平宝字(ほうじ)です。
天平と天平宝字の間にある元号の、天平感宝、天平勝宝、「勝」に注目、「言」偏で「フタ」付きの文字「證」!
狩谷棭斎渾身の「證陁真玉」完成!
\(^o^)/
※天平二十一年と天平感宝元年はステルス年号です。 →wikipedia天平感宝
だいたい、どの「続日本紀」でも、「天平二十一年」は「天平勝宝元年」とされていて、
本文を読んでいけば四月(旧暦)に改元され、さらに七月(旧暦)に改元されたことがわかります。
閏五月がある十三ヶ月の一年間に二回も改元されたという、とってもカオスな年なんですね。 (^_^;)
一月・二月・三月・四月途中まで天平二十一年、
四月途中から五月・閏五月・六月・七月一日まで天平感宝元年、
七月二日から八月・九月・十月・十一月・十二月が天平勝宝元年。
こういうことが分かるぐらいにしっかりした記録がある時代にもかかわらず、
「続日本紀」は「記多真玉」なんて書いとるんですよ。悪意しか感じられんですね……。
「北ノ間」という名前があることを知っていたら、「続日本紀」の罠に掛かることなんかないのに・・・非常に疲れます。
すいません、イラッと来ます。左に「會」、堺ですわ、これ。「北ノ間」姓がいっぱいある堺ですよ。
「甑」に関してはこちら→wikipedia甑島(こしきじま) 遣唐使船に関してはこちら→wikipedia遣唐使船
天皇祭祀四方拝を調べた時に知ったのが、甑島の「としどん」です。 →wikipediaトシドン →wikipedia大年神 →wikipedia四方拝
私のだるさ、読者様はご理解できますでしょうか?上げましたwikipediaを読むだけでもひと苦労ですね・・・。
時代の制約があったとは言え、浅いんですよね、狩谷棭斎は。狩谷棭斎の考察って浅すぎるうえに、間違っているといううううううう!(>_<)
時間があったら詳しく書きますが、私が展開させる概略を示しておきます。
年神とは、木星と太歳の信仰で、その名残が、トシドンと四方拝。→wikipedia太歳 →wikipedia太歳星君
日本書紀斉明紀の、日本最古の鬼とは、太歳。斉明天皇・鬼で検索して下さい。色々出てきます。
「続日本紀」天平宝字五年「荅他」の別バージョンが、狩谷棭斎説を肯定する者によって示されています。
これは別立てにします。→栗田寛(くりたひろし)
和気清麻呂が別部穢麻呂(わけべのきたなまろ)とされた話はあまりにも有名ですが、
これには胞衣(えな・胎盤)信仰が絡んでいるように思えてならないです。 ※wikipedia和気清麻呂(わけのきよまろ)
狩谷棭斎の念頭には和気清麻呂があっただろうと思います。 ※面白いですね、明治政府の政策、護王神社建立。wikipedia護王神社
木星と太歳の関係を見抜けなかった狩谷棭斎は、胞衣を思索したのではないでしょうか。 ※wikipediaにはこれぐらいしかありません。胞衣壺
※北朝鮮、秋田県沖にノドンミサイルを発射したそうなので貼っておきます。
奈良時代と平安時代初期に片仮名はあったのかどうかわかりませんが、江戸時代の狩谷棭斎には片仮名の知識はあったでしょう。
簡単ですね、「左」を分解すると片仮名「ナエ」もしくは「エナ」になりますし、胞衣は別称「たまこ」とも言います。
天平宝字五年「荅他伊奈麻呂」を見てみましょう。「荅(トウ)」は小豆のことです。「塔」の「土」が無いのが「荅」ですね。
「伊奈麻呂」の「伊奈」は「稲」でしょうね。
養老五年「記多真玉」と天平十七年「託陁真玉」(第一文字と第二文字は狩谷棭斎解釈)を、出産を念頭に比較してみましょう。
「コザト偏」のある「託陁真玉」が嬰児(みどりご・えいじ)で、「記多真玉」が胞衣となるわけです。
出産後の胞衣は土に埋めてしまう風習で、土を足でよく踏んだりする呪い(まじない)まであるそうです。
「記多真玉」の一つ前、行では上の名前を見て見ましょう。
ご丁寧に、足で踏まれています!
「足」が「豆」に見えるような念の入りようです!! たまりませんねぇ・・・疲れます。
気分転換。篠原国幹さんの苦労がしのばれます。→wikipedia篠原国幹(しのはらくにもと) →Sファイルスピンオフ肥後田原坂
狩谷棭斎の「唱歌師」解釈についてはこちら→記多真玉・三「唱歌師」の「師」
工事中でおます