林巳奈夫(はやしみなお)・玉器(ぎょっき)

藤沢市鵠沼(くげぬま)生まれ。いい学者ですよ。経歴についてはwikipedia林巳奈夫をご参照下さい。→Sファイル串間子爵位穀玉璧(くしまししゃくいこくぎょくへき)

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林巳奈夫著「中国古玉総説」(吉川弘文館1999年)より

画像にある通り、戦国時代(中国)の玉璧(東京国立博物館所蔵)です。見事な工芸ですね。

 

「故宮博物院第13巻玉器」(日本放送出版協会1999年)より

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林巳奈夫による玉器解説 画像1 画像2 画像3 画像4 画像5

林巳奈夫の著述は膨大で「玉器」に限っても、ぶあっちぃ専門書が五、六冊あります。かちんかちんの凄い学者さんなんです。  (^_^;)

文章書くのがメンドクセーと思っている私にとって、コピって画像貼り付けてということが、林巳奈夫の専門書は非常に難しいんです。

内容が精緻精密なので、読破していくだけでもかなりの時間が掛かります。「玉器」にご興味のある方は、ご自分で林巳奈夫の本を読むことをお奨め致します。

そういう状況のなかで、「故宮博物院第13巻玉器」(日本放送出版協会1999年)にある解説文が最も簡易なものと思いますが、

それでも、でかい画像5枚に細かい字がいっぱいです。ふえぇ・・・ (^_^;) 超一流学者はすんごいですね!

 

55三連玉環[明](台北)

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私が個人的に気に入っている玉器玉環です。人間の無限の発想を感じさせる作品ですね。いつか、機会があれば実物を見てみたいです。 (^_^)

 

30龍鳳文玉璧[戦国・後期](北京) 31龍文玉璧[前漢](北京)

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31龍文玉璧[前漢](北京)が、最内側以外の穀粒や外縁の竜紋が串間子爵位穀玉璧にそっくりですね。それにしても綺麗ですね。 (^_^)

 

「中国古玉器総説(林巳奈夫)」から玉璧の知識を吸収しましょう。

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林巳奈夫「中国古玉器総説」(1999年吉川弘文館)から「玉璧」に関する解説を拾います。このコピー用紙のかたまりは、後注を欠いています。

画像002~007、第一部総論第三章「古玉器の名称と用法」6「璧」で、途中をはぶいています。

林巳奈夫の研究文は、切り出しにくいです。私の主張に都合悪いことを省略するものではないです。

【画像002】6璧 尓雅釈器・・・ \(^o^)/ いきなりわかりません!  →wikipedia璧(へき)

「尓雅(じが)」は「爾雅(じが)」のことだと思うんですが、「尓雅」と「爾雅」が併記されている書物がないので自信がありません。  →wikipedia爾雅(じが)

「説文解字」に先行する、字義解釈・語句解釈の書だと思います。自信無しです。  →wikipedia説文解字(せつもんかいじ)

「爾雅」も「説文解字」も、早くて8世紀中(西暦700年代)に日本へ伝わって9世紀(800年代)には、朝廷内で使われていたようです。

これであってるかどうか自信がありませんが、ちゃんと日本にも伝わっていて日本文化の一部であることの確認です。 (^_^;)

Sファイル「串間子爵位穀玉璧」 →Sファイル「記多真玉」(続日本紀)

「尓雅」の「釈器」という項目に「璧」と「瑗(えん)」と「環(かん)」の違いが定義されています。

誤文「肉の孔に倍するをこれを璧といい」            ※「肉(にく・しし)」→Sファイル田上王(続日本紀)地名宗像 ※「孔(こう・く・あな)」

「孔」は林巳奈夫「中国古玉器総説」(1999年吉川弘文館)の誤植っぽいですが、「尓雅」原文を確認できていません。訂正すると次のようになります。

正文「肉の好に倍するをこれを璧といい」

で、「尓雅釈器」の注に「肉は辺、好は孔なり」とあるそうですので、「好=孔」です。

画像002赤枠の図1です。半径3の円に、半径1の円の部分が「好=孔(あな)」で、つまりドーナツ型です。

「好の肉に倍するをこれを瑗といい」、画像002赤枠の図3です。

「肉好一なるがごときをこれを環という」、画像002赤枠の図2です。

で、林巳奈夫は「実際の遺物とこの図(赤枠)を比べてみればすぐ気がつくように、これはただの目安で、このような比率に従って作られた器物はない」

と「尓雅釈器」の記述を全否定! お、おう・・・ (^_^;)  書物と遺物のズレ、これはかなり重要です。また後で使うと思います。

【画像002】『説文解字』の玉部にある文言です。

「璧は瑞玉の圜なるものなり(中略)、瑗は大孔の璧なり……環は璧の肉好一のごときものを環という」  ※圜、かん・えん

林巳奈夫考察、『説文解字』は瑗、環含めてみな璧と呼んでいる。『尓雅』によって、璧・瑗・環を区別するのは困難で、便宜上まとめて璧と呼ぶ場合が多い。

林巳奈夫の考えでは、璧は殷の時代から「璧」の名で呼ばれていた。  →wikipedia殷(いん)

【画像002画像003】ここから長い長い考察が続きます。

漢代の「気」の象徴としての「璧」を論じるにあたり、漢代以前の「気」のあり方を捉えようとしているわけです。

時代を遡る(さかのぼる)考察を、時代順に並べたため非常にわかりにくい論述となっています。簡単にかいつまんで記します。

【画像002】璧の用法、『周礼』の玉人にある言葉。  →wikipedia周礼(しゅらい・しゅうらい)

「璧、琮は九寸、諸侯もって天子に享す(きょうす)」   ※享す、意味は、供える、捧げる、もてなす、ふるまう、身に付ける、保有するなど

注に「君に享するに璧をもってし、夫人に享するに琮をもってす」とあるが、

琮は春秋戦国時代から「退化の一途」で漢時代には知識すらあやふやとなった。璧は質的量的にも保つ。これは、出土物からの林巳奈夫による考察です。

言葉だけで、実際は、琮は優品に恵まれていないと言っています。

『周礼』の玉人にある「璧、琮は九寸、諸侯もって天子に享す」という言葉は、

『周礼』大宗伯「蒼璧をもって天に礼し、黄琮をもって地に礼す」の条の注釈である、

「神に礼する者は必ずその類を象る(かたどる)。璧の圜(円)は天を象り、琮の八方は地を象る」という「天円地方」の観念で、

璧と琮、天と地、天子と夫人に配合したもの見る方が穏当である、と……

難しい言い方ですね・・・ (^_^;) わかるんですが、どうわかりやすく言えばいいのか悩みます。

出土品から見ると、実態はないということですね。「天円地方」というと、日本では前方後円墳がありますね。

私がこの林巳奈夫の文章から抽出したいのは璧の概念ですが、書物の文章で知ることができる璧の概念を抽出したかったというです。

 

画像003から007まで、出土品「璧」のお話が続きます。面白いので、興味ある方は画像で読んで下さい。

ここの部分の解説なり検証を、私が飛ばすのは、林巳奈夫のそれ、文章が出土品によるものだからという理由です。

串間子爵位穀玉璧を考えるにあたって、日本での「璧」出土数が少ないために出土品の検証よりも概念の検証を優先しようと私は考えています。

画像005後半に、璧は高額貨幣だったのか?という発掘状況が記されています。引用してみます。

「広州南越王墓、主室の被葬者の足許の足箱に陶璧一三九枚が四重ねにして置かれ、その下に玉璧が二枚入っていたのにつき、報告者はこれを玉璧の代用品と見ている。

玉璧も入れて一四一枚が四山というと四で割り切れないが、五〇枚一束といったつもりであろうか。

死体の身近に置く璧は玉製品を使い、数をそろえる必要のある冥器の財宝には、真物の玉璧は二枚だけにして、あとは陶製品で間に合わせたと解される。」

これ、五〇枚一束の部分は、誤記か誤植だと思います… (^_^;)

四〇枚一束ではないでしょうか。(40)・(40)・(40)・(19+2)、これで四山ですね。

これ以降に続く文章は、おそらく璧は貨幣として扱われたのだろうという出土例が記されています。

四〇枚一束、本物の璧、玉璧をお供えするのは勿体無い、本物を用意するのは大変ということですね。だからこそ、玉には高額貨幣の価値があるということです。

そこで、玉璧の代用品として陶製璧、石製璧というわけです。

「被葬者がみえであの世に持ってゆくべき財宝の代用品である」、これを「明器」としていますが、「冥器」の誤記誤植なのかどうか、よくわかりません。

副葬品を冥器とし、財宝の代用品を明器としているのかどうか、わかりにくいです。私にはよくわかりません… (^_^;)

しかし、見栄や体裁が必要で代用品を用いる、しかも墓に入れる物という・・・、人間臭くて面白い話ですね。

画像006、副葬品の等級を論じる古典があるそうです。 →wikipedia管子(かんし)

引用「『管子』国権に「先王は……珠玉をもって上幣となし、黄金をもって中幣となし、刀布もって下幣となす」」。

※幣(へい)についてはこちら→Sファイル絁(あしぎぬ)

続いて『周礼』典端の記事が紹介されます。ここからが、私が一番書きたかったところ、読んでくれている方に紹介したかったお話です。

 

画像006本文、『周礼』典端にある「穀璧」と「蒲璧」の記述が紹介されます。

先ず「蒲」の読みを整理したいと思います。古い文字なのかして、日本語では様々な読みを付されています。

角川新字源より。

【蒲】ホ(漢音)フ(唐音)ブ(呉音)

①がま。かま。ひらがま。がま科の多年生草本。池沼にはえ、夏にろうそく状の茶褐色の穂をつける。葉はむしろを織るのに用いる。

②がまのむしろ。「蒲蓆(ほせき)」③草ぶきのまる屋根。④かわやなぎ。⑤はらばう。(匍ほ)⑥「菖蒲しょうぶ」は、せきしょう。

⑦「樗蒲ちょぼ」はばくち。

基本の音はホ(漢音)フ(唐音)ブ(呉音)で、草の名である「がま」「かま」読み、「菖蒲」の「ブ」音、「樗蒲」の「ボ」音まであります。

「樗蒲(ちょぼ)」、博打という意味まであるなんて驚きですね! (^_^;) 大阪人がよく言う「ちょんぼ」は「樗蒲」から来てるのかもしれませんね。

 

で、林巳奈夫、「蒲璧」の読み方を示してくれてませんので、私のSファイルでは無難そうな「蒲璧(ほへき)」読みで統一します。

画像006本文から引用。『周礼』典端「公は桓圭を執り・・・・・・子は穀璧を執り、男は蒲璧を執り・・・・・・」(後注95)。

読み、「公(こう)は桓圭(かんけい)を執り(とり)・・・・・・子(し)は穀璧(こくへき)を執り(とり)、男(だん)は蒲璧(ほへき)を執り(とり)・・・・・・」。

「公」「子」「男」というのは爵位(しゃくい)です。公侯伯子男(こうこうはくしだん)、公爵・侯爵・伯爵・男爵・子爵のことです。→wikipedia爵位(しゃくい)

「圭」は玉器「玉圭(ぎょくけい)」のことです。  →wikipedia圭

この文章の意味ですが、林巳奈夫が書く通り、

天子との会見において、公爵は桓圭、子爵は穀壁、男爵は蒲璧を執る、ということです。

「執る」はこの場合、司る(つかさどる)という意味なのですが、「執」という漢字は面白いので脱線します。

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「もと、手かせをはめられ、ひざまずいている人のさまによって」  凄い意味の字なんですね (^_^;)

 

工事中

1993年の立命産社入学から利用していた旧衣笠図書館(2016年08月26日撮影)

 

 

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