佐伯有義(さえきありよし)
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佐伯有義の「六国史続日本紀」です。底本に狩谷棭斎(かりやえきさい)の名があります。 画像 画像 画像
養老五年「記多真玉」に読みは付していませんが、「記多眞玉」表記となっています。天平十七年「□□真玉」は、「託陁眞玉」で読み無しです。
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佐伯有義「六国史続日本紀」の特徴は、狩谷棭斎の解釈が掲載されていることです。
一般に公開されいる資料で、狩谷棭斎「證陀真玉」説がわかるのは、この「六国史続日本紀」だけです。かなり探しているのですが、この本しかないようです。
「六国史続日本紀」が底本にあげている「続日本紀」狩谷棭斎校本を、国立国会図書館デジタルコレクションで探してみましたがありませんでした。
戦前戦中はあって、戦後の混乱期の皇典講究所解体時に失われたのかも知れません。→wikipedia皇典講究所(こうてんこうきゅうしょ)
皇典講究所と極めて繋がりが深い国士舘大学の蔵書検索も検索しましたが、「続日本紀」狩谷棭斎校本は見つかりませんでした。
狩谷棭斎「證陀真玉」説については、狩谷棭斎のほうに記します。→狩谷棭斎
「唱歌師」について「倭訓栞(わくんのしおり)」からの引用を佐伯有義は記していますので、そちらのお話をいたします。
私が佐伯有義「六国史続日本紀」を見つけることができたのは平成23年(2011年)で、平成20年(2008年)から始めたSファイル作りでは、かなり遅い時期でした。
金銭的にも苦しい時期でした。私が勝手にSファイルと称する歴史資料や考えを明らかにするホームページSファイルを作ることになる原動力は、この時期にあります。
要するに、「記多真玉」誤読や文字改竄(かいざん)の原因が狩谷棭斎にあることを、私は平成23年(2011年)の秋まで知りませんでした。調べる気もなかったです。
佐伯有義が記す「倭訓栞(わくんのしおり)」は、 国立国会図書館デジタルコレクションで見ることができました。
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唱歌という言葉について、「源氏物語」で使用されている、「體源抄(たいげんしょう)」には百済国の言葉と書いてある、そのような意味です。
「続日本紀」8世紀末成立、「源氏物語」11世紀成立、「體源抄」16世紀成立、「倭訓栞」18~19世紀成立です。
「體源抄」が「源氏物語」を引き合いに出して、唱歌の言葉は百済国の語なりとしているわけです。非常に根拠に乏しいと言わざるを得ません。
「源氏物語」より古い「続日本紀」で唱歌の言葉が使用されているのですから、「體源抄」が唱歌を百済国の語と主張するには、「続日本紀」に言及しなければなりません。
その辺、佐伯有義もわかっていたのでしょうが、調べた形跡がありませんので、「続日本紀」註釈に引用するのは狡猾(こうかつ)と言わざるを得ません。
学者の序列に従う姿勢を表しているのです。
狩谷棭斎「證陀真玉」説を「六国史続日本紀」に上げつつも「記多眞玉」に読みを付さなかった佐伯有義ですが、唱歌の処理は残念です。
→wikipedia谷川士清(たにかわことすか)、wikipedia體源抄