田上王(正倉院宝物)
webサイト「正倉院 宮内庁」で正倉院宝物がご覧になれますが、「田上王」についての記述はありません。
「田上王」の読みについてはこちら→田上王(読み不詳)
双竜紋についてはこちら→双竜紋
「田上王」記銘緑綾袍(みどりあやのほう)は、伝正倉院南倉宝物です。
正倉院宝物銘文集のコピー紙なんですが出典不明です。→暇があったら、立命図書館で調べておきます。
画像をクリックすると大きくなります。
双竜連珠文様がわかりにくい画像ですね。→出典忘れました、調べておきます。
以下2つはクリック、画像大
平成20年か21年頃のメモ書き有り
メモ書きを処理した画像
→正倉院
大変、お待たせいたしました!やっとコピー用紙が見つかりました!
大切なもんと思っているので、どっかにちゃんと仕舞ってあるはずと思いつつ、なかなか見つかりませんでした。
なんと、枕元にいつも置いてある示現流資料の段ボール箱の中に入ってました! (^_^;) 燈台下暗しですねぇ
では、早速見ていきましょう!こいつぁ、凄い宝物ですよ!
出典は、「正倉院寶物8南倉Ⅱ」(蔵版宮内庁)・正倉院事務所・編集毎日新聞社。カラーコピーですが、色味がよくわからん状態ですね。
図柄。
同じ書物の出典で、双竜紋を書き起こしたものがこちら。
「田上王」記銘有りの緑綾袍(みどりあやのほう)ではなく、紫綾袍(むらさきあやのほう)の図柄です。
画像左下、読み取りにくいですが「15双竜連珠文紫綾文様(そうりゅうれんじゅもんむらさきあやもんよう)」と書いてあります。
細かいこといいますと、「田上王」記銘有り緑綾袍の紋様を、
「忍冬唐草双竜連珠紋(にんどうからくさそうりゅうれんじゅもん)」としている資料があります。
コピー用紙資料見つかりましたら、画像を貼り付けます。
で、上の方の画像緑綾袍を見てもらいたいのですが、とてもわかりにくいです、衣服上の竜は「縦」ではなく、「横」向きなんです。
なんとも、言葉にしにくい不思議な構図でしょ・・・(赤枠が頭部・青枠が尾部です)
竜の頭の向きは、縦なのか横なのか・・・ (^_^;) ♪ら~ら~ら~言葉にできない~(小田和正ですね)
私が便宜上「横」とした画像が、衣服上での正しい図柄となります。
出典同じです。
記銘「田上王」の写真が見れるのは、「正倉院寶物8南倉Ⅱ」(蔵版宮内庁)・正倉院事務所・編集毎日新聞社、これだけだと思います。
他の物には掲載されてないです。
スピンオフ向きの話で恐縮ですが、戦後、祖父、父、私、みな正倉院を見に行ったことがあります。
祖父と祖母が東大寺を訪問したのは昭和40年代で私が生まれる前です。
父の姉の娘(私から見て従姉)の結婚式に出席するついでに、京都と奈良を父の案内で観光したそうです。
私がSファイルを作って調べ出すまで、誰も「田上王」の宝物があるなんて知りませんでした。
祖父も祖母も「田上王」の宝物を知らぬまま亡くなっています。
明治生まれで戦前戦中戦後と貧苦の中を生き抜いた薩摩の祖父母。
「りゅうちゃん、りゅうちゃん」と私をかわいがってくれた二人が、今も生きていて、
この「田上王」宝物のこと知ったら、とても喜んでくれただろうなぁと思います。
私、多忙です、貧乏暇無しです、私が展開させたいと思いつつ、書く暇がない、調べる暇がないことを書いておきます。
おそらく、これで合ってると思うのですが、学問的姿勢でこれを示すとなると、かなり時間が掛かります。
紫綾袍双竜紋、緑綾袍双竜紋、新彊ウィグル・トルタン・アスファーナ双竜紋、これらはおそらく日本製(倭製)です。 →Sファイル双竜紋
誰の持ち物だったか、わかりません、推定、武振熊(倭王)の持ち物だったのだと思います。 →Sファイル六世田上王(続日本後紀)
武振熊とは何者なのか? →wikipedia武(倭王)
父・倭王済=五世春常王
兄・倭王興=六世春世王
弟・倭王武=武振熊≒六世田上王
荒いですが、私が展開しようと考えている話はここらです。
工事中(画像は立命衣笠新図書館)