双竜紋(そうりゅうもん)
江田船山古墳(えたふなやまこふん)の竜紋(りゅうもん)ですが、双竜紋かどうかは未確認です。wikipedia江田船山古墳もご参照下さい。
クリックすると大きい画像
正倉院宝物の双竜紋と、新彊ウイグル自治区トルファン・アスターナの双竜紋
クリック大
中国大陸繊維史大事典か、そんなタイトルの分厚い本にありました。→出典調べておきます
細かい違いはありますが、同じ構図の双竜連珠紋ですね。どこで作られたものか気になります。
研究が進んで、日本列島で作られたものか、中国大陸で作られたもか、判明するといいですね。
「龍の話」林巳奈夫著(中公新書1118)。
この本は絶版になっていると思います。1993年2月15日印刷、2月25日発行とありますので、丁度私が大学受験していた時ですね。
立命産社入学後、20歳の時にこの本を読みました。偉い学者がいるもんやなと思いつつ、そのまま忘れていました。 ※訂正しました。21歳→20歳
35歳で、正倉院南倉宝物双竜紋緑綾袍を独自に調べ出した時に、真っ先に図書館で読み直しました。それ以来、手元に置きたいとずっと思っていた本でした。
本屋にないし、中古屋さんで探しても見つからず、最近ネットの中古本通販で見つけたので即購入しました。
※緑綾袍(みどりあやのほう・ろくりょうほう)
この本を中心に「双竜紋」を考えてみたいのですが、これがなかなか難しい、時間が掛かりそうです。 (^_^;)
あとがきにこの本の性格と位置づけが書かれております。学者らしい文書です、少しだけ引用してみます。
002の最後のとこです、「未だ証明のできていないことを想像を混えて引き、話を面白くしようというサービス精神は、筆者にはない。御勘弁願いたい。」
Sファイルとは対極の立派な姿勢ですね。林巳奈夫、大正14年生まれ、海軍予科練の父より二歳上ですね。
従軍した経験のない学者さんにはこういう人、多いですね。徴兵されない、一種の特権階級ですね。
2017/12/10
長い間工事中で放置しており申し訳ないです。ここで展開しようと考えていた話を、簡単に書いておきます。
「龍」の大陸(中国)最古の神話を調べると、どうも、黄帝伝説のようなんです。 →wikipedia黄帝(こうてい)
この黄帝が地上に降りる時にお供をしたのが「龍」で、1頭とも2頭とも言われています。 (^_^;) よおわからん・・・
黄帝と共に地上に降りた「龍」は、蚩尤討伐の命を受けます。 →wikipedia蚩尤(しゆう)
蚩尤と戦うために、「龍」は大きな溜池(ためいけ)を作って、そこを棲家(すみか)とし、黄帝を助けます。
んで、そういうストーリーが、黄帝の時代(紀元前2500年ぐらい)から、
後の世の饕餮(紀元前1600年代)や、書物である山海経(紀元前300年代)にあるということです。
ぶっふぉっ!/(_-_;)\ってなるでしょ・・・ (^_^;) 調べるのが大変やねんなぁ・・・
→wikipedia饕餮(とうてつ) →wikipedia山海経(せんがいきょう)
整理しますと、現代の私たちが、黄帝と「龍」と蚩尤の物語を知るには、饕餮を知り、それ以降の書物を勉強する必要があるということです。
饕餮は日本列島にも伝来してるんですよねぇ。凄いでしょ! (^_^)
我が血の故郷、薩摩にありますっ!
種子島に広田遺跡というのがあるんですが、ここで饕餮紋様が出土しています。ついでに、日本最古の漢字文献「山」も出土です。
鹿児島スゲー! \(^o^)/
→南種子町HP広田遺跡ミュージアム →wikipedia広田遺跡
って・・・ネットではわからん状態ですね・・・絶対不可能に挑む私のSファイルにコピー資料があります!
でも、私の広大な六畳間宇宙空間のどこに仕舞ってあるのかわからん! (^_^;) 見つけ次第、画像を掲載します!
とりあえず、日本最古の饕餮紋様出土地は、鹿児島県種子島で、日本最古の漢字文献「山」も種子島です。
なので、日本列島住人(おそらく九州人)は、広田遺跡の頃から饕餮紋様と「龍」を知っていたと言えそうです。
普請中でござる