串間玉璧の箱書き「八日」について

 

書きたくないんですが、書きます。私の悪い癖で、自分程度の者が分かることは他人もわかるだろうと思って、放置してしまう。

関連ページ →串間玉璧の箱書き

 画像はここのページの切り抜き無断使用です→mitenみやざき考古楽No.30まさに「完璧」

問題、苦情等あれば削除します。はい、画像。

 

「明治」の「日」の部分に、小野湖山が「八日」と書き込んでいます。

七曜というのは、月火水木金土日ですね。

八曜、ちゃんと調べてません。競馬は、一枠白、二枠黒、三枠赤、四枠青、五枠黄、六枠緑、七枠橙、八枠桃。これが八曜。

九曜、ちゃんと調べてません。八曜に、紫、九を加えると、九曜です。競輪が、9番紫ですね。

 

で、小野湖山。この人、めちゃくちゃ頭いいですね。

「八日」=八曜=九曜じゃない=供養じゃない

つまり、古墳から玉璧が出土したとかいてあるけど、「供養じゃない」と言いたいらしい。

私が推論したことが真実に近いようですね。

高鍋藩秋月家と松浦武四郎が、串間北方串間神社にご神体としてあった玉璧を、加賀藩に売った・・・と。

 

他にも不思議な漢字(感じ)がありますが、詮索していません。

 

父が入院中、もうあかんだろうと思ったので弟直樹にお見舞いに行くよう二回言いました。

母親は諦めていませんでしたが、弟直樹に手紙まで書いて説得しました。

二月にやっと病室に行ったかと思うと、お供え物をしてやがって、私はぶち切れました。

絶食状態の父に「ぼんたんアメ」を持って行き、その枕もとに置いて、ノートをちぎった紙に何か書いてました。

家族なんでお前アホやなで済ましたかったけど、病院の階、部屋ってのが、もう末期、これから死ぬ人の多い場所だったし、

家族以外の者が見るから、私は弟を叱りました。高卒のアホのあいつとは関わりたくないのですが、叱りました。

 

「お供え物はするな」「死んでから好きなだけお供え物しろ」「生きてる人間として扱え」「あの部屋は死人の部屋で、他の患者の家族が見て不快やろ」

そんなことを言いました。

 

次はそういうことをしないだろうと思いますが、経験主義にしか頼れないバカなんで、うっとおしいです。

私を頼らず、自分で知識を身に付けてほしいです。

 

03/29訂正

間違いを訂正しました。18時半頃、路駐の白いボックスカーのドアバン!がうるさくて注意しましたが、年下低学歴女、無視。

こんなことで起こされて機嫌悪かったんで、間違いました。

訂正箇所 競馬は、一枠黒、二枠白、三枠赤、四枠青、五枠黄、六枠緑、七枠橙、八枠桃。これが八曜。

訂正箇所 飫肥藩→高鍋藩秋月家

 

最近、飫肥藩と伊東家の歴史なんかを調べたりしたので、串間は飫肥藩だと勘違いしていました。

 

 

 

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