→Sファイル串間子爵位穀玉璧(くしまししゃくいこくぎょくへき) ここに書くべき話なんですが、
えらく複雑なページになってますんで、別ページ立てにします。
タイトル通りです、串間玉璧の箱書きについてです。
ここに画像があります→mitenみやざき考古楽No.30まさに「完璧」
小野湖山が書いたとされる「日付」の「元号」の「明治」がおかしいですね。 おまけ→スピンオフ明治乳業
「明治」の「日」の中に「八日」(?)と書き込んであるようです。
明治十年十二月というのは、大久保利通が暗殺される紀尾井坂の変の五ヵ月前となります。下手人は元加賀藩士たちです。
表の「古玉璧」という筆跡に比べると、何やら小野湖山がいやいや書いてるような感じがしますね、私の勝手な見解です。
「明治」を明らかに冒涜してますわなぁ・・・ (^_^;) 小野湖山の気持ちを忖度する文章はこちら→スピンオフ追手門学院
加賀藩というのは、明治維新という近代国家建設に乗り遅れた大藩でした。 →wikipedia前田斉泰(なりやす)
以下は、薩摩藩百姓田上血統で生まれながらに「北ノ間」姓である私の勝手な感想です。
小野湖山と加賀藩が関係あった明治十年頃、やはり、正倉院宝物「田上王」記銘の緑綾袍は世に知られていなかったのだろうと思います。
平安時代に編纂された「続日本紀」もまた、宝物緑綾袍と串間子爵位穀玉璧を混同しているように思えてならないです。
北薩で「横手の田上」と言えば、私の一族の「田上」しかないんで・・・
でも、なんで「八日」なんでしょうね?月末という意味で、「松浦武四郎」の「松」?
松の木って、あんまし見ないですねぇ・・・ (^_^;) 食えない物は植えないのが薩摩の百姓なんで・・・
子供の頃遊んだ、じいさんばあさんの家の近くの
あの辺に松があるかなって場所があるにはありますが、古墳かも知らんので秘密にしておきます。