仁明天皇陵と文徳天皇陵
Sファイル黙示録に書こう書こうと思っていて、いまだに書けてないお話です。
書けてない理由は、資料として保管しておいたはずのコピー用紙が見つからないんです・・・ (^_^;)
かなり探しましたが見つからないので、立命図書館行った時にコピーしてきた方が早いような気がしてきました。
→wikipedia仁明天皇 →wikipedia文徳天皇 →スピンオフ平安京の闇「玄武神社」
仁明天皇陵と文徳天皇陵を調べた理由は、「六世田上王」に関連してです。 →Sファイル六世田上王(続日本後紀) →Sファイル六世田上王(文徳天皇実録)
んで、探してて見つからない資料の元ネタ本ってのがこれです、たぶん・・・
→思文閣出版「幕末維新期の陵墓と社会」(上田長生著) →立命館ランナーズ検索「幕末維新期の陵墓と社会」
この本に、幕末、仁明天皇陵と文徳天皇陵の場所、陵墓域を確定したことが詳しく書かれています。
→wikipedia山稜奉行 →wikipedia戸田忠至(ただゆき) →wikipedia谷森善臣(よしおみ)
wikipediaでは触れられていませんが、陵墓調査に水戸藩士も加わっていたと思います。
修築費用は薩摩藩が出したとも言われています。この資料はずっと探していますがまだ見つけていません。
薩摩藩関係の史料にあると思うのですが膨大なんで調べ切れていません。
明らかにおかしい文徳天皇陵からいきます。現在、陵墓は京都市右京区太秦三尾町の田邑陵(たむらのみささぎ)となっています。
私も見に行ったことがあるのですが、明らかに古墳時代の古墳でした。
幕府やら朝廷やらから調査官の武士がやって来て、村と交渉したらしいんですよ。
陵墓とみなされた土地は取り上げられるので、庄屋や村人が集まって、提供しても問題なさそうな土地を陵墓と申告したようなんです。
住民の生活が優先されたわけですね。 (^_^;)
仁明天皇陵の場合は、村人が相当困ったらしく、現在地の京都市伏見区伊達町深草陵の土地を提供して、新しく陵墓を作りました。
「幕末維新期の陵墓と社会」に書いてなかったと思いますが、この文久修築に薩摩藩が金を出したらしいのです。
名神高速道路北側の小高い丘に、真宗大谷派善福寺(伏見区深草瓦町6)という寺があり、wikipediaにある通り私もここではないかと思います。
現仁明天皇陵と善福寺、見に行ったことがあります。
住宅街を小高い方へ向かうように歩いて行くと、善福寺がすぐに見つかりました。「井上」という表札があり、門内を見ると工事をしてました。
(^_^) おっ!文久修築と勝手に思いました。
帰りに、京阪藤森駅近くの喫茶店でコーヒーを注文したら、店内有線放送で、中島美嘉が歌う「STARS」が流れました。
もともと好きな歌手、好きな歌だったのですが、仁明天皇陵探しのこの時は格別に感動しました。
こんな歌詞の歌なんです。 →歌詞タイムSTARS
中島美嘉の歌は作り事なわけです。これでお察し下さいと私は思います。 (^_^)
→Sファイル六世田上王(続日本後紀) →Sファイル六世田上王(文徳天皇実録)