Sファイルとは

2008年平成20年、35歳の時から調べ始めた歴史資料コピー用紙の山を、私が勝手にSファイルと称しています。

SファイルのSは、「正倉院」の頭文字S、「続日本紀」の頭文字Sです。当初はそのどちらかを示すSでしたが、調べるうちにそれを超える意味となりました。

※黙示録(もくしろく・もくじろく)※正倉院(しょうそういん)※続日本紀(しょくにほんぎ)

読みのわかる漢字は読み仮名を付けます。読みのわからないものには(読み不詳)と記します。読みの根拠、読み不詳の根拠もできる限り明らかにします。

 

Sファイルは学問ではありません。痛い所ですが。  (^_^;)

学問ではありませんが、学究的態度を失わずに学問が領域としない部分を考えようという性質です。

簡単に言いますと、大学やら大学院に認めてもらえるようなものではありませんよ、学者は無視しますよ、ということです。

こんな感じのことをせなあかんのです・・・   →吉岡真之学位論文要旨

 

これは、まあ、学者の特権といいますか、学者が研究すればそれが学問になります。

呪術や、まじない、UFOでも幽霊でも、学者が予算付けて研究すれば学問の領域で扱われます。

私は学者ではありません。大学学部卒、いわゆる学卒学士で、ほぼ無職アルバイトです。

 Sファイルは学者批判を目的とはしていませんが、学者を批判せざるを得ない部分を含んでいます。

常識的に見て批判ということになりますが、学問の世界は、この「常識的に見て」を厳密に明らかにする必要があります。

「常識的に見て」が明らかでない限り、学者が批判に答えることはないでしょう。答える義務すらないということです。

学者が日本社会で、学問を学芸として生きる分にはそれでいいのでしょうが、私たち一般人には学者のような身分も時間もありません。

そうすると、これまでの日本社会は、学問が扱いきれないもの、学者が捨てるものに対しては、

マスコミが対処して学芸学問では不足するものを補って、なんとかバランスを保つ一面はあったようです。

古田武彦が主に提唱し続けた「九州王朝説」はこれにあたるものと思われます。

 

先にも書きました通り、私はほぼ無職アルバイトでお金も時間もない人間ですから、マスコミ的行動すらできないです。

マスコミ的行動、旧来的な世論形成活動という意味です。

と、かっこよく書きましたが、実態は、Sファイルで金儲けなんかできんだろうと思っているということです。 (^_^;)

学芸学問やマスコミ的活動にSファイルを乗せるには、それ相応の金と暇のある人が、金儲け度外視の片手間でやるしかないです。

 

これはここ読んだらわかる、こっちはそこ読んだらわかると人に示しても、どうもよくわからないみたいで・・・  /(_-_;)\ なんでわからんねん!

このような事態は、Sファイルが厳密には学問ではないということに由来しています。

学問として確立していないということは、公的な社会に存在していないということなんですよね・・・

一方で、学者が誤りと認めない学説が社会に存在するという変な状況を生み出したまま放置されていることが多々あります。  (^_^;) カオスじゃ

水俣病を考えるとよくわかります。真剣に取り組んだ医者や学者が居たからこそ、原因が究明されたのです。

病気ということを考えればわかりやすいですね。

文系領域は、なかなかこのようには行きません。社会に直接的な経済損失が少ない分、人々は無批判になりやすいのです。

 

厳密には学問ではないSファイルのもう一つの特徴は、それは大昔の人々の嘘と隠し事が原点にあるということです。

その嘘や隠し事を見て行こうというのですが、これがとても難しい・・・  (-_-;)y-~

従軍慰安婦問題は嘘をつく者が生きていますので、なんとかなります。嘘をつく者が生きているうちに、嘘をあばいたので、消滅してゆくでしょう。

難しいのですが、「常識的に見ておかしい」という疑問は示していけます。

「常識的に見ておかしい」ものを、この社会に置いておくことが、Sファイルホームページ版の目的です。

長ったらしく述べていますが、「常識的に見ておかしい」ものに対処できないほどに、日本社会は衰退しております。

若い人には、危険回避としてSファイルを読んでほしいです。

私は自分の名前や血筋には興味なかったのですが、Sファイルによって、どうにもこれは興味を持たざる得ないと思わされました。

 

学問ではない、扱うのは大昔の人の嘘と隠し事、三つ目の特徴は、Sファイルに特殊な情報源はないということです。

全て、立命館大学の図書館にある資料なので、調べたければ誰でも調べることができます。

立命館でなくとも、調べる気があれば調べることが可能な資料だということです。

 

私が勝手に解釈する「続日本紀」の黙示では、あえて避けている解釈があります。

仏教思想による解釈と平仮名片仮名の存在です。

ここは仏教で解釈したら楽だろうなぁと思うことはありますが、それはしません。私がする必要はないと考えています。

続日本紀が書かれた平安時代、続日本紀写本現存最古の鎌倉時代に、仏教による解釈は散々になされたと、私は歴史をみていますから。

平仮名片仮名の存在は、私は、かなり古くからあったんじゃないかと思っているのですが、証明できるものがありません。

7世紀西暦600年代には、平仮名は無くとも片仮名はあったんじゃないかと思うのですが、非公式な文章って残りにくいから、片仮名が存在した証拠も出てこないだろうと思います。

日本列島最初の片仮名文字は軍事的分野で使用されていたのではないかと思いますので、物部氏や大伴氏の末裔が何らかの形でそれを伝えている可能性があります。

軍事分野で片仮名が発明されたと考えるのは、戦争戦闘を本分とする軍事はどうしても通信の速さが追求されます。

それによって追究開発された軍事通信記号が片仮名だろうと、私は考えています。

wikipedia物部氏(もののべし) →wikipedia大伴氏(おおともし)

 

避けてはいないのですが、いまだに調べてないのが、和気清麻呂問題です。 →wikipedia和気清麻呂(わけのきよまろ) →wikipedia宇佐八幡宮神託事件

 

 

私がSファイル作りをしていた立命館大学旧衣笠図書館

 

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